翻訳と辞書
Words near each other
・ 永福 (曖昧さ回避)
・ 永福PA
・ 永福パーキングエリア
・ 永福一成
・ 永福出入口
・ 永福太郎
・ 永福寺
・ 永福寺 (下関市)
・ 永福寺 (京都市)
・ 永福寺 (別府市)
永福寺 (埼玉県杉戸町)
・ 永福寺 (杉戸町)
・ 永福寺跡
・ 永福料金所
・ 永福本線料金所
・ 永福町
・ 永福町営業所 (京王バス)
・ 永福町営業所 (京王バス東)
・ 永福町検車区
・ 永福町駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

永福寺 (埼玉県杉戸町) : ウィキペディア日本語版
永福寺 (埼玉県杉戸町)
永福寺(えいふくじ)は埼玉県杉戸町高野にある真言宗豊山派の寺院。山号は龍燈山。本尊は阿弥陀如来。すぎと七福神の寿老人。
== 歴史 ==
創建の経緯については定かでない〔『日本歴史地名大系 埼玉県の地名』「永福寺」の項による。〕。伝承によれば、天平勝宝5年(753年)、行基により開基。かつては阿弥陀寺と呼ばれたという。寺の中興については、次のような伝承がある。武蔵権守興世王の妾といわれる妙喜尼は、天慶3年(940年)、承平天慶の乱の首謀者として興世王が討たれるに及び、自ら寺に火をつけて焼死し寺も焼け落ちた。天慶5年、平将門が京に滞在している時に生まれた子といわれる抜山優婆塞が、東国に下り父の戦場で死者の菩提を弔って、高野の地に来た時、土の中から光り、行基作と伝わる阿弥陀寺の本尊であった阿弥陀仏の木像を発見し、再興したという。
その後いつの頃か長福密寺と改名されたが、江戸幕府6代将軍徳川家宣が子息に長福(のちの徳川家継)と名づけ、それに遠慮して永福寺と名乗るようになったという。ただし、寺に伝わる『永福寺伝燈記』には、宝暦9年(1759年)、僧弁隆が住持となる前は長福寺と称していたとあり〔『日本歴史地名大系 埼玉県の地名』「永福寺」の項による。〕、徳川家継(1709年生まれ)とは時代が合わない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「永福寺 (埼玉県杉戸町)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.